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2001.10.16 To 2001.10.21

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last updated: 2007.08.03

2001.10.16 To 2001.10.21

東京の自宅から、新潟の母の実家まで、自転車で走破しました。

条件

自転車は、競輪用ロードレーサー。 国道 17 号線を使い、東京都江戸川区一之江から新潟県東頚城郡松代町儀明 (現・新潟県十日町市儀明) まで走行、数泊後に折り返す。 荷重として、ノート PC、着替え、雨具、自転車補修用具等、合計約 8.8 kg を背負う。

1 週間前、パンクや雨にみまわれながらも、東京の自宅から群馬県渋川伊香保までを自転車で往復した。 これはほぼ、東京の自宅から新潟の母の実家までの距離を到達した事になる。 なので、適度に休憩を取れば実現可能だろうと、たかをくくっていた。

が、甘かった。 渋川市まではずっと平野だが、その先は山野地帯となるのだ。 いや、山があるのはわかっていたのだが、記憶によると上越新幹線の越後湯沢駅のホームに標高三百数十メートルと書かれていたので、その程度だと思っていた。
とんでもない。 これが大間違いだった。 よく調べれば、国道 17 号線をたどった場合、標高 1,140 m の三国峠が、でんとそびえたっているのだ。 何の事はない、新幹線はもっと低い谷川岳を貫くトンネルをくぐり、全然低い高さを走っていたのだ。

1 km 上空を見上げてみる。 これを越えられるのか。 さすがにひるんだ。

が、決行。

往路

2001 年 10 月 16 日、午前 1 時 0 分、自宅出発。
出発しようと自転車に乗ったら、いきなりそのまま転倒。 なんと幸先の悪い。

秋葉原経由ではなく、荒川沿いの道を選ぶ。 こちらを通ると、秋葉原経由よりも 2 km だけ短縮できる。 できる限り体力を保存しておきたいのだ。
しかし、巡航速度は 25 km、やや遅い。 重い荷物のせいだろうか。

国道 17 号線には埼玉県戸田市の戸田橋にて合流。
戸田橋からしばらく行くと、外環自動車道の架橋をくぐるのだが、ここで何となく 「がいか〜ん、がいか〜ん!!」 と声に出して叫んでしまう。 なぜだろう、野性が呼んでいるのだろうか。

いや、そんなことはいいのだ。 問題はその後、さいたま市の浦和で後輪がパンクした。 まだ 30 km しか走ってないのに・・・。
でも今回は大丈夫、スペアチューブ 2 本を備えている。 ということで、明るいファミリーマートの駐車場に居座り、交換作業開始。 約 15 分で交換完了・・・と思ったら、何と、空気を入れる部分の金具がいきなり破損、使い物にならなくなる。 仕方なく、もう 1 つのスペアチューブを取り付ける。 こんなところでスペアチューブを失うなんて・・・心細い。
さて、後輪ということで、チェーンとギアに触らざるを得なくなった。 油で、手が真っ黒。 何とかしたいとファミリーマートに入り、日用品コーナーを探す。 最初、ウエットティッシュにしようかと思ったが、チェーンの油はしつこく、多分これでは落ちない。 と、その近くにメイク落としシートを発見。 これなら効き目ありそうだ。 購入して使用、効果てき面、意外な使い道だろう。
そして走行再開、約 30 分のロス。

JR 大宮駅を越えてしばらく行くと、国道 17 号線と国道 16 号線がぶつかる、ジャンクションみたいになっているところがある。 が、ここ、自転車のことを何も考慮していない。 僕はロードレーサーに乗っているのでかまわず車道を走るが、そうでない場合、かなり遠回りをしなければならない。 普通に真っ直ぐ行ければ 30 秒もかからないで済むところを、あれを迂回すれば 5 分以上はかかるだろう。 何とも不親切なことだ。

途中、熊谷市の手前で国道 17 号線本道を折れ、熊谷バイパスに入る。 1 週間前に、ここは二度と通らないと決めたのをあっさり破る。 理由は、国道 17 号線本道の熊谷 〜 高崎間に見た、路面のでこぼこだ。 あれを通ったらまたパンクしかねない、もうスペアチューブは無いからパンクさせるわけにはいかないのだ。 できる限り良質な道を選ばなければならない。
ということで、熊谷バイパス、深谷バイパス、上武道路に抜ける。 巡航速度、25 km/h。
相変わらず、すべて国道 17 号線という番号が振られている。 まぎらわしい、どうせなら 「17-1」 「17-2」 「17-3」 とかにしてくれればいいのに。

道中、何度かチェーンが外れる。 もともとが、ペダル側と車輪側の両方に変速ギアがついているタイプの自転車ため、チェーンはゆるく張ってあるのだろう、変速した時やペダルを逆回転させた時などに割とあっさり外れるのだ。 簡単に直せるのだが、チェーンに直接触るため油で手が真っ黒になり、その度にメイク落としシートが大活躍。

熊谷バイパスは怖い。 歩道がなく、また平日の夜ということで大型車がびゅんびゅん迫ってくる。 逃げ場がなく、向こうによけてもらうに任せるしかない。 さぞ迷惑だったろう、テイルランプをつけていたのがせめてもの救いだ。
深谷バイパスは素晴らしい。 場所的に人も自転車もほとんど通らないはずなのに、ロードレーサーでまともに走行可能な、真っ平らのきれいな歩道がある。
さて上武道路、こちらは利根川周辺以外には歩道はないのだが、代わりに車のほとんど通らない側道があったので、危険なく走れる。 前回は、この道の利根川にかかる橋、新上武大橋の途中にて前輪がパンクしたが、今回は大丈夫だった。 橋を渡り終えて群馬県新田郡に入り、伊勢崎市を抜けて前橋市に出て、無事バイパスの終点、国道 50 号線の突き当たりに到着。
そのまま国道 50 号線を前橋市街に向かって走る。 時刻は 7 時、通勤ラッシュで交通量が多い。 歩道に退避する、巡航速度 20 km/h。

前橋市街にて、国道 17 号線本道と合流。
そろそろ 7 時 30 分、ご飯の時間。 前回に渋川伊香保を往復したときよりも遅いタイムだ、やはり重い荷物が影響しているのだろう。
これから坂を登るので持久力が必要、それには米粒だ。 国道沿いのファミリーマートにて、おにぎりを 4 個、それとリポビタン D を購入。 食事。 済ませ、7 時 55 分に走行開始。

前橋市街を抜け、もうすぐ渋川市という所で、またもや後輪がパンク。 前にチューブ交換した時の処置が悪かったか?? 一縷の望みをかけて空気入れを動かすが、空気はまったく入らない。 これは、かなり大きな穴があいている。
スペアチューブはもうない。 途方にくれた。
もしかしたらと思い、ちょうど近くのガソリンスタンドに立ち寄り、自転車のチューブの備えがないか尋ねてみるものの、やはり無かった。 しかし親切にも、前橋市街に面倒を見てくれる自転車屋があることを教えてくれる。 礼を言い、引き返す。 前橋市街の教えてもらった自転車屋に到着、パンクを見てもらうと、チューブには大きな穴が 2 つ並んで開いていた。 パッチを当ててふさいでもらい、チューブ復活。 そしてタイヤを調べてもらったのだが、外傷はなし、内部にもパンクの原因になりそうな突起やゴミもないということで、パンクの原因は不明。 運が悪かったらしい。 ついでにスペアチューブも購入。
走行再開、約 1 時間のロス。

前橋市と渋川市の境、利根川の上にかかる橋、木曽橋。 なだらかな斜面に造られた渋川市街のきれいな眺めが一望できる。 写真に撮っておきたかったが、あいにくデジタルカメラの準備はなかった。
橋を渡って渋川市に入ると、ずっと休みの無い上りになる。 かなり大変だ。 ギアを最も軽いものに変速して走行。

沼田市に入る。 ここは、上りもきついが、下りもある。 下っている間にペダルを止められるのはいいが、せっかく稼いだ標高が落ちてしまう。 地形の関係もあって仕方ないのかも知れないが、こういうアップダウンの激しい道を造るのはなるべくやめて欲しい、というのはわがままだろうか。 っていうか、ギアの変速に忙しい。

11 時頃、国道沿いのパーキングエリアに、三国峠の情報を提供している休憩所があった。 三国峠についての情報を得るため、立ち寄ってみる。
その施設の名前は忘れてしまったが、そこにいた係員に 「東京を 1 時に出ました」 と告げると驚かれた。
「ここまで 10 時間?? 速い!!」
そうなのか?? 僕は、自転車に関しては結構シロートなので、その辺のところはわからない。 が、何か誉められたので嬉しい。
聞くところによると、そもそも三国峠って 1 泊くらいして越えるものらしい。 なお、峠の坂を上り切ると三国トンネルがあり、そこでは補修工事により片側通行となっているとのことだ、気をつけなくては。 三国峠はなめてはいけない難所だ、装備はしっかりと忠告されたので、途中のセブンイレブンでカロリーメイトと余分なポカリスエットとリポビタン D を購入。

利根郡に入る。 なるほど、利根川はここから流れているのか。 と言っても、利根川の上流と国道 17 号線は全然別の方向にあるようだが。 利根川とは関越自動車道月夜野 IC のあたりで別れてしまう、さようなら。 代わりに、今度は赤谷川と併走することになる。
そして、ずっと上りが続く。 きつい。 ギアはずっと、最も軽いもののままだ。

しばらく上ると、途中、旅館や温泉宿などをいくつも目にする。 なるほど、普通はここで休んで行くのか。 でも僕は素通り。
赤谷川をせき止めている、相俣ダム。 そのダムにせき止められて出来た赤谷湖を半周すると、いよいよ三国峠に入る。 何か、ここから三国トンネルまで、55 のカーブがあるらしく、カーブごとにわざわざ 「1 / 55」 「2 / 55」 のような感じでカウントが標示されている。 このカウントが 55 になれば三国トンネル、上り坂は終わりというわけだ。
きつい坂が続き、平らなところは全くない。 東京都心に詳しい人ならば、靖国神社の近くにある九段坂程度、と言えばわかってもらえるだろうか。 それが、約 10 km 続くのだ。
11 カウントごとに休憩を取ることにする。 合計、5 回の休憩を取ることになる。 厳しい道、汗が滝のように流れ、肩で息をする。 休憩で何とかそれを落ち着かせる。 10 km/h をキープして走行、ようやく標高およそ 1,140 m の三国トンネル前に到達、時刻はだいたい 13 時 50 分 位だった。

さて三国トンネル、沼田市の国道沿いパーキングエリアでの情報の通り、工事中で片側通行だった。 危ないからといって、作業員の人に車で追走してもらった、助かる。
三国トンネル内で県境、新潟県南魚沼郡に突入。 三国トンネルを抜けると、今度はずっと下りだ。 下りなのはいいが・・・急だ。 ノーブレーキで放っておくと、平気で 50 km/h を超える。 ぞっとした。 いや、スピードに、ではなく。 っていうか、僕はそもそもスピード狂で、自動車で関越自動車道の前橋付近にて 160 km/h 出して捕まった実績がある (爆)。 不安というのは、この勾配、帰りは上れるのだろうか?? という事。 可能だろうか??

それはともかく一路、JR 越後湯沢駅を目指す。 そこで休憩しよう。
下りで楽だと思っていたのだが、途中、各箇所で工事があり、実は苗場あたりでややきつい上りもあり、結構難儀した。 三国峠を降りて湯沢町ふもとに出るまでに、結局 1 時間以上かかった。
そして、JR 越後湯沢駅、発見。 ところがそこは、国道 17 号線からは、思っていたよりもかなり遠かったのだ。 残念だが JR 越後湯沢駅はあきらめ、途中のセブンイレブンで休憩を済ます。 時刻、15 時 15 分頃。
ここで、母の実家の祖母に電話で、自転車で向かっていることを告げる。 もちろん驚かれた。 何時ごろに着くかと訊かれたので、だいたい 19 時ごろと答える。 適当だ。 電話を終え、出発。

湯沢町を抜け、石打、塩沢町を通過。 このあたりは、平野のように平らだ。 峠越えの疲れは残っているが、何とか巡航速度 25 km/h を維持。
そして、六日町に到着。 ここで国道 17 号線と別れ、国道 253 号線に折れる。 そのまま真っ直ぐ行くと、長岡市まで連れて行かれてしまう。 国道 253 号線は、新潟の重要な港である、上越市直江津港へと向かう道だ。

国道 253 号線は、目的地の松代町儀明を通っている、このまま真っ直ぐだ。
が、関越自動車道六日町 IC を通り過ぎてすぐにある、八筒峠の上り坂で、エンジンストップ。 恐ろしく勾配が急なのだ。 車用に登坂車線まで用意されている。 これは三国峠どころではない、超難所だ。 今での疲労が加味してかも知れないが、最も軽いギアでも全く進むことができない。 何度かリトライするが駄目だ、10 m 進むだけで休憩が必要になる。 仕方なく自転車を降り、引いて歩く。 悔しい、最後まで自転車で行きたかったのに。 巡航速度、5 km/h。
距離こそそれ程ないものの、超急勾配で苦しい上り坂が終わると、八筒トンネルに入る。 ここでやっと平らになり、自転車上に復帰。
トンネル内で、南魚沼郡から十日町市に入る。 トンネルを抜けると下り坂、さっきの上りと同じ位の急勾配だ。 ノーブレーキで行くと、平然と 60 km/h を超えてしまう。 この速度になると風圧による抵抗もかなりのものになるというのに、速度は上がる一方。 なんて坂だ。 帰りにここに来るときは、やはり手押しになるのだろうか。

ほとんどペダルを使わずに坂を下りつづけると、十日町市街付近に出る。 そこでもまだしばらくの間、ゆるい下り坂が続く。
そろそろ暗くなってきた。 時刻、17 時 30 分頃。 山は、日が暮れるのが早い。 ランプをつける。 ランプと言っても電池式の、かなり頼りないものだが。 何とか日暮れ前に到着したかったのだが、もう無理だろう。
しばらく進むと、日本一長い川、信濃川に出る。 橋を渡るが、川の状況は暗くてわからない。
橋を渡り切ると、道はまた上り坂に。 エンジンストップを起こすほどではなかったが、つらかった。
この近くに浅河原調整池というのがあって、その水力が東京の JR 山手線の電源となっているそうな。 しかし、国道には新たにトンネルが掘られ、もうその姿を見ることはできない。

登りながらのトンネルをいくつかくぐると、松代町 (現・十日町市松代) に入る。 もうすぐ、もうすぐだ。 しかし、国道 253 号線はアップダウンが激しく、つらい道のりとなる。
そして、完全に日は落ち、周りも山に囲まれていてどこからも光が届かず、あたりは完全に真っ暗になる。 街灯など全くなく、自転車のランプだけでは道がはっきり見えない。 車が来ない方が危険だ、時折行き交う車のヘッドライトがありがたい。 途中の、北越急行ほくほく線のまつだい駅界隈を通った時だけは、さすがに街灯がちゃんとついていたが・・・。
ランプが薄くなってきたので、まつだい駅にて電池交換する。

そろそろ体力が尽きてきた。 もはやギアは最も軽いものに固定。 巡航速度は 10 〜 15 km/h 程度に落ちている。
まつだい駅を後にし、池尻、蒲生へ。 長い上り坂だ。 ちょくちょく休憩しながら進む。
そしてやっと儀明。

母の実家、19 時 4 分到着。
走行距離 279.1 km (トリップメーター計測)、所要 18 時間 4 分、消費したポカリスエット 4 リットル、消費したリポビタン D 3 本。
途中のトラブル、2 回パンク、9 回チェーン脱落、3 回転倒。

なお、ポカリスエット 4 リットルを飲んだというのにトイレは 1 回ももよおさなかった。 水分は全部、汗になって出ていったらしい。 そら恐ろしい事である。

疲れた。 体はぼろぼろだ。 出迎えた祖母は、自転車のタイヤの細さに驚いていたが、お風呂を用意してくれていた、ありがたい。
が、お風呂にて、お尻にまめができているのを発見、生まれて初めての経験だ。
祖母が体中にシップを貼ってくれ、マッサージもしてくれた。 いい気分だ。
だが、体に力が入らない。 寝よう。

宿泊中

空気が澄んでいて、水がおいしい。 東京とは大違いだ。 群生して穂を垂れたすすきもきれいだ。 儀明峠の頂上にある展望台から、儀明村を一望できるが、これもまた美しい。 来てよかった。

カマキリの卵を見つける。 カマキリには雪の量を察知する能力があるらしく、雪が多い冬には高い位置に、雪が少ない冬には低い位置に卵をつける。 不思議なものだ。 山を散策した時に、一緒に歩いた叔父が発見したそのカマキリの卵は、やや低めのところにあった。 今年の雪は、あまり量は多くならないだろう、とのこと。

祖母の畑の、大豆の収穫を手伝う。 祖母が狩って結わき、僕がそれを運んであらかじめ張っていたロープに吊るす。 1 週間ぐらいすると、乾燥するそうだ。 これは正月に、黒豆の甘露煮になる。

この、田舎という環境のせいだろうか。 夜 7 時頃にはもう眠くなり、9 時か 10 時には就寝、朝 6 時から 7 時には起床。 理想的な生活リズムだ。 出来れば、東京に帰ってもこのリズムをキープしたい。 来る前までは、昼夜逆転したりしてぼろぼろだったものだ。

しかし、筋肉痛が全く引かない。 毎日温泉に入り、バンテリンを塗布し、リポビタン D を服用するものの、改善はほとんど見られず。 この分では復路をまともに行けるかどうか、怪しい。

復路

リタイア。

月曜日には東京に戻らなければいけないのだが、結局やはり思うように体が回復しなかった。
前回、東京と渋川伊香保を往復した時は、筋肉痛は 3 日程度で引いた。 だから、何とか行けるのではないかと思っていたが、やはり標高 1,000 m の三国峠と国道 253 号線の激しいアップダウンは、大変な負担、大ダメージだったのだ。
残念だが、電車で帰ることにする。
往路は無茶ではあったが、無理ではなかった。 でも、今度こそ無理だ。
それに、三国峠がその標高のためか、降雪したらしい。 これでは峠越えなど出来ない。

出発前にこっそりと、2 万円を入れた封筒を置いてくる。 泊まり賃だ。 直接渡そうとすれば、絶対つき返されるので。
っていうか、その前に祖母からお小遣いを貰ってしまった。 祖母は一人暮らし、僕が来てくれて楽しかったから、そのお礼だというのだ。 封筒入りだったが、開けるなと強固に言うので、そのままリュックにしまう。

2001 年 10 月 21 日、午前 9 時 50 分、祖母に見送られて母の実家、自転車で出発。
北越急行ほくほく線のまつだい駅から出る、11 時ちょうどの便を目指す。

国道 253 号線に出て、儀明から蒲生へ向かう。 やや上り坂、ギアを落として走行、巡航速度 18 km/h。
蒲生から池尻までは長い下り坂、ペダルを使わず走行、巡航速度 40 km/h。 往路の時は、よくここを登ったものだ。
池尻から松代までは途中細い道があって怖かったが、大型車が来なかったのでまあよしとする。 軽いアップダウンがあるが、平均巡航速度 25 km/h を維持。

北越急行ほくほく線まつだい駅、10 時 15 分に到着。
電車に載せるために、自転車を解体する。 車輪をはずし、車体に紐でくくりつけるのだ。 また、あたりを汚さないように、チェーンを新聞紙で包む。 はじめての作業なので手間取り、30 分程かかった。 後輪をはずす時にチェーンを触ったので、またもやメイク落としシートがお役立ち。

さて、ここからは電車の旅だ。
11 時 0 分、北越急行ほくほく線に乗車、まつだい駅発。
11 時 30 分、JR 六日町駅着。
11 時 35 分、JR 上越線 (水上駅行) に乗り換え、JR 六日町駅発。
12 時 38 分、JR 水上駅着。
12 時 45 分、JR 上越線 (高崎駅行) に乗り換え、JR 水上駅発。 ここで、祖母にこさえてもらった弁当を使う。 おにぎり 3 つとおかずが少々、デザートにみかんが 2 個、おいしかった。 JR 沼田駅を過ぎたあたりで、国道 17 号線と出会う。 ああ、ここを通ってきたんだなと、感慨深く眺める。 それから JR 渋川駅の手前で、なだらかな斜面に造られた渋川市街が一望できる。 ここは、何度見ても美しい。
13 時 46 分、JR 高崎駅着。
13 時 50 分、JR 高崎線に乗り換え、JR 高崎駅発。 JR 高崎線は JR 大宮駅を過ぎると、かなりの数の駅を停車せずに通過する。 特急料金も払っていないのに、快適だ。
15 時 35 分、JR 上野駅着。
時刻表通りの運行だ。 鉄道というのは大したものだ。

ちょっと、用 (大) をもよおし、トイレへ。
その後、自転車を組み立てる。 解体する時に要領を得たか、10 分程で組み立て完了。 またチェーンに触ったので、メイク落としシートで手を拭く。
さあ、出発・・・と思ったら、人混みで、なかなか上野駅界隈を脱出できない。 かなり時間を食ってしまった。 何とか国道 4 号線、昭和通りに出て、自宅に向けて走行開始。 それはおよそ 16 時過ぎだっただろうか。

と、前輪がガタガタ音を立てる。 見ると、ホイールの骨 (スポーク) が折れている。 自転車を解体した時、運び方か縛り方ががまずかったか?? それとも、もう古い自転車だし、寿命だったのか??
しかし、前輪が多少ぶれはするものの、走れないこともないので、そのまま走行。 自転車さん、ごめんなさい。

日曜ということもあって、道は混み合っている。 巡航速度 20 km/h。
しばし走って秋葉原に出て、靖国通りを東に折れる。 そして隅田川の手前の浅草橋にて、道の名前が靖国通りから国道 14 号線、京葉道路に変わる。 真っ直ぐ進んでいる同じ道なのに、道の名前が変わると、何だか妙な気分だ。

しばらく走ると、JR 亀戸駅付近にて自転車屋さんを発見、前輪を見てもらう。 やはりホイール自体がかなり痛んでいるそうだが、今回は破損した部分だけを修理してもらう。
約 30 分のロス、走行再開。
道がかなり最近に舗装し直されたばかりらしく、真っ平ら。 ずいぶん調子がいい、巡航速度が 35 km/h まで上がる。

荒川を越え、我が江戸川区に入る。 国道 14 号線と別れ、今井街道を行く。 もう 2 km 程度、着いたも同然だ。

そして自宅、17 時 17 分到着。
走行距離 21.7 km (トリップメーター計測)、所要 7 時間 27 分。
途中のトラブル、1 回車輪故障。
なお、電車での走行距離 242.4 km、所要 4 時間 35 分。

到着後、祖母に貰ったお小遣いの封筒を開けてみる。 1 万円くらいだろうと思っていたのだが、何と 3 万円も入っていた。 しまった、泊まり賃をもっと置いてくればよかった。 散財させてしまった、いろいろ世話になったというのに申し訳ない。

結果

走行距離 300.8 km、所要 25 時間 31 分、消費したポカリスエット 4 リットル、消費したリポビタン D 3 本。
途中のトラブル、2 回パンク、9 回チェーン脱落、3 回転倒、1 回車輪故障。

って、所要時間は合算しても、途中に電車が入ってるから、あんまり意味は無いな。
とりあえず走行距離 300 km を達成したので、よしとしよう。

しかし、コンビニエンスストアというものはありがたい。 今回は特に、ファミリーマートとセブンイレブンにお世話になったが、これらがなければ、補給資材は自分の荷物として背負わなければならなくなる。 そうすれば荷重は 15 kg を越すだろう、そんなでは坂がなくても走行に支障をきたすに違いない。 本当にありがたかった、感謝する。

未だに筋肉痛が残っている、一体いつ回復するんだろうか。 困ったものだ。

しかし、楽しい旅だった。 いい経験、思い出にもなったと思う。
次にもし挑戦する機会があったら、その時こそは往復を達成してみたい。

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